会いたい人の話

 生きているうちにもう一度会いたい友人がいる。

 

 小学校の同級生の女の子だ。といっても一緒に過ごしたのはほんの一年ちょっとだったが。彼女と出会ったのは小学校一年生のとき。同じクラスで、二人とも背が高かったので背の順で並んだら前後で、ついでに名前の語呂も似ていた。そんな彼女と(どういう経緯かは忘れたが)ものすごく仲良くなった。昼休みになったら必ず二人で「東京ミュウミュウ」ごっこをしていた。ロリ与一はりぼん派だったので正直「東京ミュウミュウ」は全く存じ上げなかったのだが、とりあえず「ミント」を名乗って普通に砂場とかで遊んでいれば「いちご」役の彼女は喜んでくれたから大丈夫だった。原作にあまりこだわりのない少女たちのなりきり遊びとはそういうものである。いつの間にか「ミュウミュウごっこしようよ」という彼女の誘いかけに「じゃあ私ミント!」と答えるようになっていた。阿吽の呼吸である(使い方は違う)思い返せば小学一年生の昼休みは彼女以外の友人と遊んだ記憶がない。本当にべったりだった。

 二年生になるとクラスが離れた。それでも友情は変わらず、昼休みになるとよく「東京ミュウミュウ」ごっこにいそしんでいた。けれど夏だったか。彼女は親の仕事の関係で隣の県に引っ越すことになった。大人になった今では隣県などへでもない距離だが、小学生の自分たちにとっては二人の間に深い隔たりが出来上がるかのように遠く感じられた。「手紙書くよ。書いてね。」そう言われた私は、寂しさを抱きながら住所を渡し、彼女と別れた。

 

 秋になって、引っ越した彼女から手紙が届いた。それはもう喜び勇んで手紙を書いた。内容は忘れたが、多分元気でやってますよ的なことを書いたんだと思う。中身を書くのはとても楽しかった記憶があるが、住所を書くのは大変だった。幼い私は熊本県「熊」の字に三秒でゲシュタルト崩壊を起こした。他にも難しい感じが結構使われていて、何度も書き直した。対して小学校二年生ではとうてい書けない漢字だって、彼女に届けるためならば。

 

 返事が来ないまま、数ヶ月が経った。少し寂しかったけど、気にせず手紙を書いた。
 「みやざきはさむいよ」「  ちゃんのところはどうですか」
 春になって三年生にあがっても、返事はこなかった。それでも気にせず書いた。
 「わたしは3ねん4くみになりました」「  ちゃんはなんくみになりましたか」
 自分の声が彼女に届いていると信じて書き続けた。何通も、何通も。

 

 そうして秋。彼女から返事が来た。自分の手紙はちゃんと彼女に届いていたのだと、嬉しくてたまらなかった。情けないことに内容は覚えていない。きっと元気でやってますよ的な内容だったのだろう。

 

 強烈に覚えているのは、封筒に「与一ちゃん ごめんね」と書いてあったことだけだ。

 

 昔のわたしは「そんなの全然気にしないで!お返事書こ!!」とすぐに気持ちを切り替えていたのかもしれないが、二十一歳の気にしいな私が読んだら発狂土下座ものだ。彼女はきっと転校先で新しい友達をいっぱい作っていたことだろう。「東京ミュウミュウ」ごっこもしていたのかもしれない。私はいわば「過去の人」だ。無視しても送られ続ける手紙に、嫌気がさしていたかもしれない。けれど何通も送られてくる手紙を見て、送り主を不憫に思った母親が娘に返信を急かした──。これが私の脳内でのストーリーだ。

 

 「ごめんね」のお手紙以降、彼女から手紙が来ることはなかった。そりゃそうだ、私からも一通か二通くらいしか送っていないのだから。

 

 フェイスブックなんかも主流になった現代だけれど、彼女の名前で検索してみてもそれっぽい人は見つからない。もしも機会があったら、ほんの少し顔を合わせるだけでいいから、「元気そうで何より」と言う機会が欲しい。ついでに「東京ミュウミュウごっこ」をしてたね、なんて言っても覚えていないのだろうか。それとも、私のことすら覚えていなかったりして。それでもいいから会ってみたい"ともだち"だ。本当に今どこで何してるんだろうなあ。

 (一応言っておくと、私も彼女以外の友達はいた。ぼっちじゃないので安心してほしい。)

 (脳内で美化しているところも多々あるかもしれない。でも会ってみたいという気持ちは本物だ。)